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2008年クルージング(最新)

NEW:舵誌2008年11月号掲載  PDFはこちら(16メガあります)

Seaside Cafe & Bar CHART HOUSE
横浜 金沢八景 シーサイドカフェ&バー チャートハウス

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航海記        

2005年諸磯ー函館クルージング

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Stardustからの提案あなたも海から旅をして見ませんか?

舵誌「ちょっと気になる古い船」に掲載されました

何と言う失礼なタイトル・・・

舵誌2007年3月号掲載  (PDFファイルです)

 

 2004年オーストラリア・Whitsunday 諸島 クルージング

その前の 「AYAV」南太平洋挫折航海記 もあります。

苦労も一杯ありましたが、いい勉強になりました。

 

「舵 ボーティングガイド 2001」から

 

早いもので、もうヨットをはじめてから30年をすぎました。

いい仲間に恵まれたと、感謝しています。

 「NHK月曜ドラマ・緋色の記憶」に出演

2003年1月NHKの月曜ドラマ「緋色の記憶」にStardustが使われました。

 

 

 

Stardustの仲間     思い出のStardust 画像集

私の記念写真

       

あの南波誠さんと         神様・ジャックマイヨールさんと

 

「ヨッティング」誌 1996年5月号から

こんなことこをしてていいのかな」若くして父を亡くした山田さんは、家業(化粧品店)を引き継ぎ、仕事に追われる毎日を過ごしていた。そんな日々の中で、莫然とだが、抱き始めた思い。
仕事に不満があったわけではない。ただ自分の人生なのだから、もっと自由を楽しんでもいいのではないか、と思っただけだった。母と娘、家族もいる。そう好き勝手ができる立場ではない。それでも、自分の人生にはこだわりたい。
山田さんは、自分のために使える時間を手に入れるために、そしてそうなった時、家族が経済的に負担なく暮ららせるように、少しずつ環境を変えていった。もちろん、家族にその考えを伝え、理解を得ることからのスタ−卜。反対はなかった。長年一諸に暮らしてきた家族には、山田さんの気持ちは薄々感づいていたことなのかもしれない。
仕事は、その権利を第三者に譲ることにした。譲ったとはいえ、すぐに山田さんも手を引くことはできず、しぱらくは関わることになるのだが、数年を掛けて手離した。自宅も建て替え、ビルにしてテナント料が入るようにした。こうして山田さんは自分の人生を楽しむための環境を整えた。
「40歳を過ぎたら…」そう考えてきた山田さんの第2の人生が始まった。42歳の時、地球の線を辿りたいとロシアへ渡り、シべリア鉄道の旅をした。この間、約3ヶ月まだ見ぬもの、それも北の自然に対する興味は山田さんにとっての原動カだ。
今回のクルージングも.宗谷岬をまわりたいという思いから始まっている。
「北の果てだからね、宗谷岬は」。
北の地には、厳しさと緊張感がある.安穏とした場所では得られない大きな刺激。
しかし、これを越えた時その喜ぴは何倍にも感じられるのだという。その瞬間生きていることの楽しさも実感する。ただ、それだけが目的ではない。
「うまい酒、うまい物を食おうと思ったら、北しかないでしょ」
最もリアリティある言葉かもしれない。
人間は、本能を満たした時、本当に満足できるものなのだから。
次ぺ−ジに紹介する航海記を見ていると、山田さんは実によく食べ、よく飲む。
それは知人と一緒だったり、あるいはその土地で出会った人であったりと、様々だが、これもまた山田さんにとっての人生の楽しみの一つなのだ。
山田さんの愛艇〈スターダスト〉は、今はなきフジヨット建造の「フジ35。」
この35ftのクルージングヨットで、山田さんはその航海のほとんどをシングルハンドで過ごした。パソコン通信でこのクルージングを知りやってきた青年や、友人たちが乗り込んでいる時もあるが、彼らは長くても一週間程度しか同船できない。
何もかもを一人でやらなけれぱならない時が圧倒的に多かったが、この〈スターダスト〉は一人でも操船しやすいように設計されている。ステアリングを握る位置からほとんど動くことなく、シ−ト類は調整できるこのヨットだったからこそ、今回のクルージングもなし得たことだろう。
ほとんどを一人で過ごしたこのクルージング中.山田さんの必需品だったのは、酒とビデオとワーブロだ。酒の必要性は今さら語るほどのものでもないだろう。。
ビデオとワープロは、このクルージングの記録を克明に記録しておくためのものである。自分の足でたどり着いたその寄港地の様子を、写真とピデオに納めた。
絵として残すことのできない記録は、航海日誌としてワーブロに入カした。そしてモデムで繋ぎ、自宅にその日誌を送って様子を伝えたりもした。このクルージンダを人生の記念碑にしたい」と考えていた山田さんにとって、記録を残すことは、今を生きていること、また生きてきたことの証なのかもしれない。
その記録を、クルージンぐから戻って加筆し、2冊のアルバムにまとめた。このアルバムには、その土地々の観光パンフレットや様々な領収書も納められている。何処で誰に会い、何を買ったかがすぐわかる。そんな細かな記録の一つ一つにこそいろんな思い出があり、捨てることはできないのだ。ぺージを括るたぴに、その時々の想い出が鮮やかに蘇る。数え切れないはど多くの人の世話になった。
「親切にしてもらうことが、重荷にすら感じる時もある」
親切にしてもらっても、お返しをする当てがない。心苦しいぱかりで、それが辛いのだという。一人だった今回のクルージングでは、とりわけ人々の優しさが身にしみた。とりあえず、諸磯に戻ってすぐに、お世話になった人々にお礼状を書いた。クルージングを終えて一年近くが経とうとしている今でも、彼らとの付き合いは続いている。
「一つの出会いがこうして繁がっていることが嬉しい。」
長いクルージングに向けて特別なことは何一つしなかった。直前まで行われていだヨットの修理も前年の台風で被っただメ‐ジのためだった。敢えていうなら.クルージング費用を捻出するためのアルバイとくらいか。とはいえ、アルバイトも今回のためだけにやったことではない。自分のために時間を使いだしてから、必要なお金はアルバイトで得るようになっていたのだから(ちなみに、今回のクルージング総費用は、60万円以下)。
一日の支出を5千円以内にすることを心がけていたという。)。そうして、いつもよりちょっと荷物が多い程度で、ハタから見れぱ拍子抜けするくらい身軽な状態で出発した。こうした気負いのなさも山田さんらしい一面だ。
山田さんにとって、クルージングに出ることは特別なことではない。そのクルージングが持つ意味、果たす役割は大きくても、クルージングという行為自体はとても身近なもので、生活の一部といえろほどなのかもしれない。
「ヨットはね、ウロウロしてなきゃいけないものなんです」
ヨットは海を走ってこそヨットであって、ジっとしていたのでは、ヨツトとはいえないのだそうだ。だからこそ、山田さんは魅せられ、20年以上ヨットと付きあってきたのだ。ここにも、山田さんの生き方が見えてくるような気がする。
一ヶ所に留まることなく、常に動く。安定よりも、行動を選ぶ。山田さんはそんなタイプの人間なのだ。
長く生きれぱ生きるほど、人は背負うものが多くなる。できるだけ身軽でいたいと思いながらも、そうできない現実がある。しかし、問題は自分がどう生きたか、である。何を目的に人生を生きるか、である。生き方が決まった時おのずとその方法は見つけられるはずだ.そして、人生はもっともっと楽しくなる、そう教えられたような気がする。

ということだそうです。(^_^)ゞ

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「海音」号による沖縄クルージング便乗航海記(石垣以降工事中)

エスプリ便乗航海記(1999年5月 西宮−下松)

2006年10月12日更新

 


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